2009-01-27

こき麻呂のフィリピンとの関わり方〜恋愛編

 私こき麻呂が最初にフィリピーナを目にしたのは、家業のクリーニングを辞めてフジカラーサービスで深夜のDPEのアルバイトをしていた時でした。
 あるお客様の写真に色黒のアジアの女性たちが厚化粧で写っていました。つまり顔と首の色が明らかに違っていて、あまり良い印象は持ちませんでした。

 次にフィリピーナの話題を身近に聞いたのは、仕事を転々として氷とお絞りの配達をしていた頃です。
 得意先の1軒にフィリピンパブがありました。使用済みのお絞りを数えて、同じ数の新品を補充するのですが、そのパブのお絞りは汚く異臭がしました。(・・;)
 同じ会社の先輩の1人がそのフィリピンパブにハマっているという話でした。相当に楽しいらしいと…(^_^;)
 しかし私は色白の女性が好みだったので、特に心惹かれたりはしませんでした。


 その後損保の仕事をやるようなり、クリーニング組合の先輩に保険を勧めるうちにキャバクラに誘われるようになりました。代理店研修生という不安定な地位にもかかわらず、○○海上の名刺のお陰で金は使わなかったけれどそれなりにモテました。(^-^)v

 そして2002年に12才年下の日本人妻と離婚。子供2人は私が引き取りましたが、私の母が面倒みてくれただけで私は実質的な子育てもせずに、じわじわと押し寄せる離婚してしまったことのダメージと戦っていました。

 特に当時小4だった娘の心に深い傷を負わせてしまった事実が私を苦しめました。

 離婚後久々にキャバクラへ行きましたが楽しめません、風俗を解禁しても同じでした。虚しいだけで何も得るものはありませんでした。


 そんな時、1人でふらりと入った地元のフィリピンパブでSと出会い、私の今があります。
 Sは忘れかけていた少年の日の純粋なときめきを呼び覚ましてくれました。
 最初はもちろん下心もあって通っていましたが、途中から手をつないで歩くだけでたまらなく楽しんでいる自分がいました。
 まさに少年の初恋の気分でした。現実問題などどうでもよく、逃避場所としての最高の夢をSは私に与えてくれたのでした。
 ただ夢から覚める時はやがて訪れました。最後まで最高の女優でいてくれれば良かったのに…。

 そしてそれとは別の意味で新しい夢も見ずらくなってしまいました。タレントへの興業ビザが厳しくなったからです。


 Sと出会って1年後の2003年、別の店でAと知り合いました。彼女は今でも何でも隠さず相談できる大事な友人です。
 残念ながら彼女はフィリピン人と入籍済みです。再婚するには「婚姻の無効」のための裁判が必要で、そこまでして再婚する気はないと言います。まあ私も再婚するなら若いフィリピーナがいいので、今の友人関係が続けば問題ありません。(^^ゞ

 その後2006年に初渡比してから沢山のフィリピーナと出会い、Aとはもちろん、マニラでSとも再会しました。
 フィリピーナの自宅も沢山訪問しました。一括りにしがちですが、彼女たち一人一人状況が違って見えました。

 ネット上に書かれていることはあくまで一般論ですから、皆さんはご自身の目で判断してください。
 言葉の問題で誤解が生じることも考えられます。意志の疎通の再確認はとても重要だと思います。

 私こき麻呂は有料ライブチャットを皆さんに勧めてきました。しかしそれはタレントが来日できなくなってからフィリピーナと知り合う入口にしか過ぎません。
 有料チャットの次のステップも順次記事にしていこうと思っています。

2009-01-26

こき麻呂のフィリピンとの関わり方〜食事編

 私こき麻呂は子供のころはひどい偏食でしたが、酒を飲むようになってから少しずつ改善されていき、30代には何でも食べられるようになりました。
 初めて食べたフィリピン料理はフィリピンパブのメニューでしたが、本格的に食べたのは、最初の指名子との同伴で行ったフィリピンレストランでした。
 シニガンとティラピアのフライが美味かったのを覚えています。

 その後日本人経営の美味しくて安いフィリピンレストランを知り、そこのメニュー作りのお手伝いまでしました。

 フィリピンへ行っても高くて不味い日本食より(最近はマニラでも美味い日本料理店があります)、現地の庶民が食べる料理に興味があります。それは海外どこに行っても同じだと思います。
 バロットもいつか食べる日が来るでしょう。(^_^;)

2009-01-20

こき麻呂のフィリピンとの関わり方〜旅行編

 私の初海外は1977年、21才の時、大学四年生だった親友の誘いでヨーロッパに33日間行ってきました。
 毎日新聞主催のツアーで羽田から大韓航空に乗って、往きはソウル〜アンカレッジ経由の北回りでパリに降り立ち、その場で解散。
 帰りはスイスのチューリッヒに自力で集合して南回りでドバイ〜マニラ〜ソウル〜羽田と帰ってきました。マニラには1泊しています。

 最初の1週間は親友と2人旅で、その後は別行動でした。携帯もネットもない時代でしたから、スイスで会うまで連絡は全くありません。家族にも絵はがきを書いただけでした。

 そして2度目の海外が2006年のフィリピンでした。

 ヨーロッパでは中学レベルの英語とざっと覚えたカタコトの現地語でなんとか乗り切りました。パリに2週間いましたが、フランス語は全く通じませんでした。(^_^;)
 毎日美術館ばかり通っていました。

 ミラノ・ローマ・フィレンツェではイタリア語がちゃんと通じました。英語も大丈夫でした。宿泊はペンションで、駅に着いてから観光案内所で探しました。夜遊びは全くしない真面目な旅でした。(^-^)v

 そんな旅を若い頃に経験したせいか、やはりフィリピンでも1人で行動することが当たり前でした。
 初フィリピンのセブマクタン空港では指名子をダブルブッキンクして、「この女ナニ?」という凍りつきそうな空気の中市内を案内されましたが、すぐに2人とも返してGOGO BARまで夜中のマクタン島を1人歩きして初お持ち帰りしたババエと翌日朝からボホール島のオプショナルツアーに行きました。(*^_^*)

 マニラではターミナル2からクーポンタクシーで、予約してあったエルミタの安ホテルに直行して1人でチェックイン。
 以来単独行動が多いですね。

2009-01-04

結婚相手としてのフィリピーナ

 ぶっちゃけて言いますが、私のような中高年のバツイチ親父や、嫁探しに苦慮している農村漁村の未婚青年たちには、東南アジアの娘たちは救世主だったりします。
 しかしそこは国際結婚。日本人同士以上に相互理解と歩み寄りが不可欠ですね。
 特にフィリピンパブの指名子を追いかけて渡比したケースでは、よほどのラッキーかしっかりした対策がないと有り金巻き上げられておしまいということさえあり得ますから充分な下調べと心構えが重要になると思います。

 私が親しくしていただいている日比カップルのほとんどは仲良く結婚生活を続けていらっしゃいます。その秘訣はやはりコミュニケーションですね。


 よく聞く意見に、「日本に来たことのないフィリピーナを選びなさい」とか「有料チャットではなく無料で出会える娘がいい」とか言われていますが、要はこちらの接し方次第だと私は思っています。
 可愛いだけでどうしようもない嘘つきもいますが、それは排除すればいいだけのことですから。

 一番の基本は貨幣価値を理解することでしょうか。レート換算ではなく収入格差も含めての一万円の価値を知っておかないと、彼らの生活まで破壊してしまう行き過ぎた援助につながる危険があります。

 もちろん経済格差があるからこそ、彼女たちは遠い異国に嫁いで来てくれます。それは自分の家族に仕送りをしたいという気持ちからなんですが、日本での結婚生活よりもフィリピンへの仕送りを重視する態度が見えたら要注意でしょうね。


 そんなリスクを承知で私は再婚相手をフィリピーナに求めています。しかも日本のパブ経験者で有料チャットのババエの中から探しています。
 さて今年こそ再婚できるんでしょうか?(^^;)

2009-01-01

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。
 昨年10月からはリハビリを兼ねて夜の肉体労働をしています。そのため夜にチャットができず、ネットに費やす時間も足りないためブログの更新も滞ってしまいました。
 まだしばらくはこんな状態が続くと思いますが、本年もよろしくお願いします。m(_ _)m


M/Y/D/S イラスト素材百科
年賀状の画像は↑こちらから頂きました。