あるお客様の写真に色黒のアジアの女性たちが厚化粧で写っていました。つまり顔と首の色が明らかに違っていて、あまり良い印象は持ちませんでした。
次にフィリピーナの話題を身近に聞いたのは、仕事を転々として氷とお絞りの配達をしていた頃です。
得意先の1軒にフィリピンパブがありました。使用済みのお絞りを数えて、同じ数の新品を補充するのですが、そのパブのお絞りは汚く異臭がしました。(・・;)
同じ会社の先輩の1人がそのフィリピンパブにハマっているという話でした。相当に楽しいらしいと…(^_^;)
しかし私は色白の女性が好みだったので、特に心惹かれたりはしませんでした。
その後損保の仕事をやるようなり、クリーニング組合の先輩に保険を勧めるうちにキャバクラに誘われるようになりました。代理店研修生という不安定な地位にもかかわらず、○○海上の名刺のお陰で金は使わなかったけれどそれなりにモテました。(^-^)v
そして2002年に12才年下の日本人妻と離婚。子供2人は私が引き取りましたが、私の母が面倒みてくれただけで私は実質的な子育てもせずに、じわじわと押し寄せる離婚してしまったことのダメージと戦っていました。
特に当時小4だった娘の心に深い傷を負わせてしまった事実が私を苦しめました。
離婚後久々にキャバクラへ行きましたが楽しめません、風俗を解禁しても同じでした。虚しいだけで何も得るものはありませんでした。
そんな時、1人でふらりと入った地元のフィリピンパブでSと出会い、私の今があります。
Sは忘れかけていた少年の日の純粋なときめきを呼び覚ましてくれました。
最初はもちろん下心もあって通っていましたが、途中から手をつないで歩くだけでたまらなく楽しんでいる自分がいました。
まさに少年の初恋の気分でした。現実問題などどうでもよく、逃避場所としての最高の夢をSは私に与えてくれたのでした。
ただ夢から覚める時はやがて訪れました。最後まで最高の女優でいてくれれば良かったのに…。
そしてそれとは別の意味で新しい夢も見ずらくなってしまいました。タレントへの興業ビザが厳しくなったからです。
Sと出会って1年後の2003年、別の店でAと知り合いました。彼女は今でも何でも隠さず相談できる大事な友人です。
残念ながら彼女はフィリピン人と入籍済みです。再婚するには「婚姻の無効」のための裁判が必要で、そこまでして再婚する気はないと言います。まあ私も再婚するなら若いフィリピーナがいいので、今の友人関係が続けば問題ありません。(^^ゞ
その後2006年に初渡比してから沢山のフィリピーナと出会い、Aとはもちろん、マニラでSとも再会しました。
フィリピーナの自宅も沢山訪問しました。一括りにしがちですが、彼女たち一人一人状況が違って見えました。
ネット上に書かれていることはあくまで一般論ですから、皆さんはご自身の目で判断してください。
言葉の問題で誤解が生じることも考えられます。意志の疎通の再確認はとても重要だと思います。
私こき麻呂は有料ライブチャットを皆さんに勧めてきました。しかしそれはタレントが来日できなくなってからフィリピーナと知り合う入口にしか過ぎません。
有料チャットの次のステップも順次記事にしていこうと思っています。