2012-10-19

申立書

 結局これが届く前にビザは発行されたんですが、せっかく書いたのでここにアップしようと思います。


在マニラ日本総領事館 ビザ担当者殿

 私、こき麻呂は、2006年6月よりフィリピンにて再婚相手を探すべく毎年数回の渡航を繰り返していましたが、年の離れた日本人との国際結婚を求めるフィリピン人女性は、おしなべて「金目当て」「ビザ目当て」がほとんどで、「真実の愛」には程遠く、結婚を決意するには至りませんでした。

 そんな中、ライブチャットで知り合ったダバオ出身でマニラ在住の当時24歳のフィリピン人女性が結婚したいと言ってきましたので、2010年の11月にダバオに帰省中の彼女を訪ね、家族にも会ってきました。

 家族は皆仕事を持ち合格点でしたが、肝心の彼女が言葉では「愛してる」と言いはしたものの、その行動に微塵の愛も感じられず、ダバオに数泊した後一緒にマニラへ戻りましたが、彼女は私のホテルには泊まろうとせず自宅にさっさと帰ってしまったので、別の相手を探すことにしました。

 丁度9月ごろからインターネットで知り合い、連絡を取り合っていた数人の中から、カビテの姉夫婦の家に滞在中のChantinie Bula当時20歳にショートメールしたところ「是非会いたい」と返事が来ましたので、11月13日にオルティガスのロビンソン・ショッピングモールで会うことになりました。近くに彼女の友人の家があり、マニラの中ではここなら土地勘があるということでした。

 その時私はマラテのロビンソンで別のフィリピン人と待ち合わせていましたが、よくある「フィリピンタイム」で1時間以上も遅刻していてまだ現れませんでした。その時点でその彼女は「失格」でした。日本人の友人に遅刻の彼女は任せることにして、私はオルティガスに向かいました。

 最初LRTに乗りましたが、MRTへの乗換駅がとてつもなく混雑していましたので、外に出てタクシーを捜しましたがこれが失敗でタクシーはなかなか捕まらず、やっと乗り込んだら道路は大渋滞でした。

 結局Chantinieを1時間以上待たせてしまいましたが、彼女は怒ることもなく笑顔で私を迎えてくれました。今までに会ったフィリピン人の中で私が初めて感じた「気品」を持つ女性でした。

 その場は喫茶店でコーヒーとケーキを注文して小一時間話しただけで数日後の再会を約束して別れましたが、私はこの時すでに心が動いていました。

 11月15日と18日にもマニラで一緒の時間を過ごしました。そして翌年3月には10日にマニラ空港で再開し、そのまま帰国日の3月18日の朝までの全工程をChantinieと一緒に過ごしました。

 その内容は以下の旅行ブログにまとめてあります。

http://4travel.jp/traveler/kokimaro/album/10652366/

 この3月の8泊9日で、私はChantinieとの再婚を決めました。

 結婚手続きは業者に任せず全部自分たちでやりました。

 婚姻用件具備証明書の申請は知り合いのフィリピン人に同行してもらってマニラで済ませ、翌日私一人で受け取ってChantinieの待つロハスへ行きました。

 結婚式には私の2人の子供たちを連れて行きたかったので、9月の3連休に2泊3日で強行することにしていましたので、その移動のシュミレーションも兼ねて、マニラ→カリボをPALで、カリボ→ロハスを車という移動にしました。

 7月12日〜19日で、無事に婚姻許可証の申請が終わりました。

 その内容も以下の旅行ブログにまとめてあります。

http://4travel.jp/traveler/kokimaro/album/10649897/


 結婚式は2011年9月23日〜25日の3連休を利用して強行軍で執り行いました。

 その内容も以下の旅行ブログにまとめてあります

http://4travel.jp/traveler/kokimaro/album/10632838/



 出会いから約2年、結婚式から1年以上が経過しています。

 早く日本に呼んで子供を作りたいのです。私ももう57歳になりました。

 これから生まれるわが子が成人になるまで元気で働いていたいので、早期のビザ発行をよろしくお願いいたします。


2012年10月13日

こき麻呂

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