2012-04-29

私の海外旅行歴その1

 私は有名都立高校を3年の2学期に自主退学して、家業のクリーニング店を継ぐべく17才から仕事をしていました。
 その高校で仲の良かった友人が、大学4年の夏休みにヨーロッパへ旅行に行くので一緒に行かないかと言われ、私もアメリカやアジア、アフリカよりはヨーロッパに行きたかったので、親に無理を言って休みをもらい、ローンを組んで毎日新聞主催の36日間のツアーに参加したのが1977年のことでした。
 そのツアーというのは、金浦空港経由の大韓航空利用で、行きは羽田空港発アンカレジ経由の北回りでパリ着、帰りはチューリッヒ発ドバイ経由マニラ1泊の南回りで羽田に着くという行き帰りだけで中はオールフリータイムの学生向けツアーでした。
 それ以前から海外旅行はするつもりで英会話のカセット教材は数種類集めていました。
 旅行参加が決まってからは、フランス語イタリア語ドイツ語のカセットも買いました。
 フランス語は全然ダメでしたが、英語とイタリア語は通じました。
 ドイツ語は帰りのチューリッヒ1泊だけだったのでほとんど使いませんでした。
 友人とは最初の1週間で別れ、チューリッヒまでは1人旅でした。
 私はパリに2週間いて、ニースに行ってみたらバカンスでホテルは全部満室。Σ( ̄□ ̄)! そのまま列車でイタリアに移動しました。
 後半はミラノ、フィレンツェ、ボローニャ、ローマでパリ同様美術館巡りをしました。
 そのまま数年ずっとヨーロッパにいたいと思いました。

 それからは海外には行けず終いで、2回目の海外旅行は2006年の初渡比でした。

つづく

2012-04-27

行きはジェットスター、帰りは

 6月はカミサンを迎えに行きます。
 彼女はフィリピン→日本の片道切符なので、私は行きだけLCCを使って、帰りはカミサンと2人、PAL(フィリピン航空)の片道にでもしようと考えていました。
 在留資格も取れて、ジェットスターで成田→マニラを買いましたが、セブパシフィックでマニラ→関空のプロモでもあれば、大阪観光も悪くないと思っていました。
 しかしセブパシフィックのプロモは東南アジア向けばかりで、やっと関空のプロモが出たら千円だけの値引きでした。(^^;)
 だったらPALでいいかなと、2名で片道約53,000円を買おうとしていましたが、最近体調不十分で売上は低迷、給料激減で4月分ではPALは買えず、他のルートはないかと調べました。
 セブパシフィックのプロモで香港、台北、シンガポール、バンコクなどが安く、しかしそこから日本へ行く格安の片道便がありません。
 エアアジアを調べたら、安いのはクアラルンプール→羽田でした。
 そこでセブパシフィックのマニラ→クアラルンプールを見たら、到着時刻がエアアジアが出発した後で、クアラルンプールに1泊しなければなりませんがプロモでどちらも安いので、クアラルンプール1泊で決めました。
 セブパシフィックでマニラ→クアラルンプールのプロモ、荷物15kg食事なし2名で4,368ペソ。
 クアラルンプール→羽田がエアアジアのプロモ、荷物15kg食事付2名で303ドル。
 合計約3万3千円で済みました。しかも羽田着なのでタクシーに乗っても家まで3千円です。

2012-04-21

マンゴーは安くて上手いinフィリピン

 フィリピンでの生野菜の調達には苦労しますが、フルーツは多種多様で新鮮で安く手に入れられます。
 いつも帰国してからもっと食べておけば良かったと後悔しますが、ドリアンよりも断然マンゴーが美味しいですね〜。
 次回は珍しい果物も探してみます。

2012-04-18

低収入でも楽しい毎日を

 初渡比した2006年は、まだまだタクシーで暮らしていけました。
 しかしリーマンショック後の売上は惨憺たるもので、タクシーだけで暮らすには、毎出番が20時間の真剣勝負で息が抜けなくなりました。
 私は休みをずらして10連休を作って年3〜4回渡比してきましたが、6連続乗務が渡比を挟んで4回ともなると、真剣勝負は続けられませんので、売上は目標をはるかに下回ることになってしまいました。
 今後は低収入で楽しく暮らす方法を探りながら、心豊かに過ごして行くことが私の目標です。

2012-04-15

幸せの鉱脈

 カミサンとDate in Asiaで知り合ったのが2010年の9月か10月。実際にフィリピンで会ったのが同年11月。約1年半、遠距離で付き合ってきて、渡比で会ったのが5回36日ほど…。
 何度会ってもボロが出ないばかりか、益々綺麗になっていくので笑みが止まりません。(*⌒▽⌒*)

 来日してからが本番ですが、フィリピンパブで働く訳ではないのでなんとかなるでしょう。
 心配なのは英語がさっぱりなお袋とのコミュニケーションで、これはやや時間がかかるかと思います。

2012-04-08

再婚相手は2006年から探していましたが

 2006年の6月に初めてフィリピンに行き、その時に会った3人は3人とも甲乙付け難く、その中から一番最初にマニラで会ったダバオ出身のフィリピーナに決めてしばらくやり取りしていました。しかしどうも二股の2番手であることがわかり、2番目にマニラで会ったブラカンのババエに乗り換えて、こちらはかなり長く付き合いました。
 なるべく早い時期にブラカンの娘と結婚しようとしていましたが、タクシーの売上が下がり始め、なかなか式を上げるタイミングが見つからないまま、さらに景気は低迷していて、そうこうするうち相手の問題点が見えてきました。
 仕事はあるのにこちらの収入を当てにして働かなくなったり、小さなウソが見え隠れしたり、一番の問題は私と2人きりになろうとしないことでした。
 ヴァージンなら結婚まで我慢もしますが、そうではないと言うし…。(^^;)
 焼き餅も束縛もないのはフィリピーナには有り得ないので結局破談にして別れましたが、その直後に未婚のままフィリピン人の子供を産んだそうです。(≧∀≦)
 私の収入が順調であれば結婚していました。危ない危ない。(*≧m≦*)

 その後はもっと厳しい目で相手とその家族を見るようになりました。
 しかしなかなか条件をクリアするフィリピーナに巡り逢えません。
 美人で性格が良くても、私に対する強い想いがないと友達止まりですし、結婚したがっていても金目当てでは最悪ですからねえ。
 それでも諦めずに「坊主めくり」を続けていたら「お姫様」が現れました。妥協しないで本当に良かったです。(^-^)v

 結婚にまでいたらなかったフィリピーナ達とも友達付き合いは続いているので色々相談にも乗ってくれます。
 カミサンとも友達になってくれて、日本語も教えてくれます。

 来日したら家族に会えないストレスが大きいでしょうから、母国語で話せるフィリピン人の友人達はとても重要だと思います。

2012-04-02

他のアジアへ

 6月にカミサンを迎えに渡比しますが、その後は年に1度の里帰りを毎年12月あたりにするつもりでいます。
 そして日本国内を旅するのはもちろん、今まで行きたくて行けなかったアジア各国へも、2人で行ってみたいと思います。
 ただ、カミサンの国籍はフィリピンですから、ビザなしで行ける国は限られますが、どうしても一緒に行きたい国にはビザを取ってでも行こうと思います。