私は有名都立高校を3年の2学期に自主退学して、家業のクリーニング店を継ぐべく17才から仕事をしていました。
その高校で仲の良かった友人が、大学4年の夏休みにヨーロッパへ旅行に行くので一緒に行かないかと言われ、私もアメリカやアジア、アフリカよりはヨーロッパに行きたかったので、親に無理を言って休みをもらい、ローンを組んで毎日新聞主催の36日間のツアーに参加したのが1977年のことでした。
そのツアーというのは、金浦空港経由の大韓航空利用で、行きは羽田空港発アンカレジ経由の北回りでパリ着、帰りはチューリッヒ発ドバイ経由マニラ1泊の南回りで羽田に着くという行き帰りだけで中はオールフリータイムの学生向けツアーでした。
それ以前から海外旅行はするつもりで英会話のカセット教材は数種類集めていました。
旅行参加が決まってからは、フランス語イタリア語ドイツ語のカセットも買いました。
フランス語は全然ダメでしたが、英語とイタリア語は通じました。
ドイツ語は帰りのチューリッヒ1泊だけだったのでほとんど使いませんでした。
友人とは最初の1週間で別れ、チューリッヒまでは1人旅でした。
私はパリに2週間いて、ニースに行ってみたらバカンスでホテルは全部満室。Σ( ̄□ ̄)! そのまま列車でイタリアに移動しました。
後半はミラノ、フィレンツェ、ボローニャ、ローマでパリ同様美術館巡りをしました。
そのまま数年ずっとヨーロッパにいたいと思いました。
それからは海外には行けず終いで、2回目の海外旅行は2006年の初渡比でした。
つづく
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