初海外旅行から帰って来て、4年に1度は海外だね〜と言ってはみたものの、当時東南アジアに興味はなく、中南米に行きたかったため、旅費と休日の捻出がままならず、その後結婚して子供が2人できると、国内旅行が精一杯になってしまいました。
時は流れ、2002年に離婚してから初めて入った地元のフィリピンパブで、とあるフィリピーナに会って話をしているうちに、自分がフィリピンを含めた東南アジア諸国を無意識ながら侮蔑の対象にしていたことに気付き、痛く恥入ったのでした。
その後の数年で、沢山のフィリピーナと、フィリピーナ好きの日本人と知り合って、いつかは渡比したいと思いつつ、やっと初渡比できたのは2006年でした。
本当は3月に行く予定でしたが、1月に持病の腸閉塞が悪化し、緊急入院緊急手術となり、3ヶ月遅れて6月にフィリピンに旅立ちました。
前回の記事にもありますが、実は1977年にヨーロッパへ行った帰りに南回りでドバイで給油して、マニラに1泊しました。
ただ、乾燥した地中海の空気と違い、マニラに降り立った瞬間もわ〜っとした湿ったアジアの空気に触れて、ホテルから1歩も出ないで過ごしました。
ですからマニラに過去行っていたことすら忘れていました。
2006年には既にタレントビザが厳しくなっていて、再来日できないフィリピーナの友人が沢山いましたので、マニラとセブと、ブラカン、そしてアンヘレスに行こうと計画を立てました。
フィリピン航空(PAL)は成田からマニラとセブに直行便を飛ばしていたので、友人から紹介された旅工房という代理店に頼んで、ストップオーバーで成田→セブ→マニラ→成田という取り方でチケットを手配しました。
マニラとセブのホテルとボホール日帰りツアーは、ディスカバリーツアーに依頼しました。
セブ2泊でタレント2人に会いましたが、ドタキャンを想定してダブルブッキングしたら、2人共マクタン空港に現れて険悪なムードに…(^^;)
まあどちらも本命ではないので、翌日のボホールツアーは現地調達にしてお引き取り願いました。ヾ(^▽^)ノ
マニラでは3泊してチャットガール3組と会い、3組目はワンボックス車でホテルまで迎えに来てくれたので、マニラで合流していた日本人の友人と一緒に、ブラカンの彼女たちの家に行きました。
そこで友人と別れ、アンヘレスから車で迎えに来てくれた指名娘の家へ行き、アンヘレスの安ホテルに2泊して、バスでマニラに戻り、大きな荷物を2つ抱えて、初LRT2→LRTでホテルに帰り着きました。
アンヘレスではジプニーとトライシケルに乗りました。マニラでは、ぼったくりカレッサ(馬車)にも乗りました。(^^;)
カウボーイグリルとミュージック21とLAカフェにも行きました。
実に内容の濃い初渡比になりました。
以来、年に3〜4回行くようになりました。
つづく
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